はじめに
今回は、森本あんり先生の『反知性主義』という本を手に取りました。きっかけは、テレ東系の配信動画で、森本先生が「反知性主義は“反知性・主義”ではなく、“反・知性主義”と読むべきである」と話されていたことです。言葉の区切りだけで意味が変わるという指摘に興味を持ち、読んでみたいと思いました。
私はもともと、トランプ第二次政権が始まって以降、アメリカ福音派の政治的影響力に関心があり、中林美恵子先生のアメリカ議会や政治に関する著作も読んできました。今回は、宗教と政治という切り口とは少し違う方法でアメリカ社会を理解してみたいと思い、この本を読むことにしました。これはその読書メモになります。
反知性主義とは何か
定義から考える反知性主義
反知性主義を自分の言葉で語ろうとすると、少し難しさがあります。そのため最初に専門家の定義を借りながら考えました。
佐藤優氏は、反知性主義とは
「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」
と述べています。
また教育社会学者・竹内洋氏は、
「社会の大衆化が進むと、人々の感情をあおり、エリート批判で票を集める政治家が現れる」
と指摘しています。
いずれも反知性主義をわかりやすく示したものですが、森本あんり先生が提示する視点はさらに深く、「知性そのものへの反発ではなく、知性に付随する“何か”への反発である」としています。
私はその“何か”とは、政治・大学・科学といった制度化された権威そのものに向けられる不信感のことだと理解しました。
自分なりの理解
私の言葉で反知性主義を説明するならば、次のようになります。
専門知や権威よりも、民衆の感情や常識を優先し、エリート的な知性を警戒・拒否する姿勢。
権威的な学問や制度が人々の生活から乖離したとき、個々人が自分の経験や直感を信頼することで生まれる考え方。
政治領域では、これはまさにポピュリズムと重なるため理解しやすい現象です。私が最も簡単に伝えるなら「反知性主義とは、知の領域におけるポピュリズム」と説明すると思います。
教育については、第二次トランプ政権で大学補助金の問題が議論になったことが思い出されますし、科学の領域では、コロナ禍のワクチン議論が記憶に新しいです。こうした事例が、反知性主義の現代的な姿なのだと実感しました。
第1章・第2章:ピューリタンからハーバード大学の流れ
森本先生の本の中で、私が最も読みやすかったのは第1章と第2章でした。
ピューリタンがイギリスを離れてアメリカへ渡り、ハーバード大学を設立し、信仰復興運動が起こる流れは、イギリス史とアメリカ史の接続として理解しやすい部分です。
しかし、問題はここから先でした。
第3章以降:リバイバル運動とアメリカ史の難しさ
宗教と政治が絡み合う難所
第3章以降では、宗教的リバイバル運動の詳細が描かれます。
ジョージ・ホイットフィールド、ジョナサン・エドワーズ、アンドリュー・ジャクソンなど、アメリカの歴史上重要な人物が登場しますが、日本の教育であまり触れられない領域ということもあり、背景知識の不足もあって理解に時間がかかりました。
この部分こそアメリカの反知性主義の核心であり、最も重要な内容なのですが、日本人にとってはハードルが高いのも事実です。
ただ、こうした難しい領域に触れ、自分の知識の足りなさを知るのも読書の楽しみだと感じました。今後成長したときに再びこの本を読み返したら、理解が深まるかもしれません。
プロローグで最も心を打たれた“丘の上の町”
ウィンスロップの説教が語る契約共同体の精神
読書の中で最も印象的だったのは、実はプロローグに登場する
ジョン・ウィンスロップ(John Winthrop)
の説教でした。
1630年、新大陸に向かう船上で語られた「A Model of Christian Charity」は、後のアメリカ建国意識に大きな影響を与えた説教です。その中の「A City upon a Hill(丘の上の町)」という比喩は、レーガン大統領にも引用され、有名になりました。
【引用】ウィンスロップ “City Upon a Hill” 原文(1630)
出典:The American Yawp Reader(Winthrop, A Model of Christian Charity)
“For we must Consider that we shall be as a City upon a Hill;
the eyes of all people are upon us.
So that if we shall deal falsely with our God in this work we have undertaken,
we shall be made a story and a byword throughout the world.”
ウィンスロップが伝えたかったのは、
「我々は神に選ばれた契約共同体であり、全世界が我々を見ている。だからこそ、誠実に歩まなければならない」
という自覚でした。
私はこれを読んだとき、「自分自身も、働く会社も、誰かに見られている存在である」という当たり前のことに改めて気づきました。行動・態度・判断のすべてが他者に影響を与える。それは現代でも変わらない価値観だと思います。また、米国における契約文化の一端を垣間見た気がしました。
レーガン退任演説と“輝ける丘の上の町”
宗教的比喩を国家理念へ
レーガン大統領は1989年の退任演説で、ウィンスロップの言葉を引用し、そこに
“Shining(輝ける)”
という形容詞を加えました。宗教的な共同体の比喩が、アメリカという国家の理想像へと再解釈されています。
【引用】レーガン退任演説 “Shining City Upon a Hill” 原文(1989)
出典:Ronald Reagan Presidential Library & Museum
“I’ve spoken of the Shining City all my political life.
A tall, proud city built on rocks stronger than oceans, wind-swept, God-blessed,
and teeming with people of all kinds living in harmony and peace.
A city with free ports that hummed with commerce and creativity.
And if there had to be city walls, the walls had doors,
and the doors were open to anyone with the will and the heart to get here.”
ウィンスロップが語った“丘の上の町”が、レーガンによって
「自由と民主主義の灯台としてのアメリカ」
という形で再定義された瞬間だと思います。
われわれは自分の役割を果たした(We’ve done our part)という一言に注目がなされ、誰が別の「担当部分」をやるのか?それが神であり、ここにアメリカ的な契約神学があり、スピーチの締めくくりは「アメリカに神の祝福あれ」「神を相手に契約の履行を迫る」という説明のされ方も興味深かったです。
おわりに
反知性主義とは、単なる知性の否定ではなく、アメリカの宗教史と政治史に深く根ざした文化的現象だと理解しました。そして、この背景には、ウィンスロップの説教に象徴されるような 「契約を果たす共同体」 という意識があります。
これは国家に限らず、企業や個人にも当てはまる姿勢です。
自分の役割を果たし、他者の視線を意識し、誠実に行動すること。
今回の読書で私が得た最大の学びは、この点に集約されます。
付記 今回の記事も個人の学習メモであり、また個人の意見を反映したものでもありません。あくまで中立的な観点から書いているつもりでございます。ご理解をよろしくお願いいたします。
